敗北者のブログ

長年生きて来たぢぢぃの独り言

スカート捲り




小学生の頃にスカートめくりと言う遊び?が流行っていた。

学校にスカートを履いて来た女子のスカートを捲り、パンツを見ると言う実に単純で愚劣な遊びだった。


友達同士でさえあだ名で呼んではいけないと言う現代では、そんなスカートを捲るなどと言うハレンチな行為などは言語道断、絶対に許されはしない遊びになってしまったのだろうか。


そんな非人道的な行為をあえて俺は今、(遊び)と称して語ろうとしている。

当時、それは正に(遊び)の範疇にあったと信じているからに他ならない。


何故ならば、

スカートめくりをする男子は決まっていて、そのターゲットととなっている女子の相手もほとんど決まっていたからである。

つまり、A君はA子ちゃんのスカートばっかりをめくり、同様にB君はB美ちゃんのスカートしかめくらないと言う、相互関係が成り立っていたので、それはお互いに認め合った上での、正に遊びであったに違いないんだ。


つまり、スカートを捲られるA子ちゃんからしたら、A君に捲られても構わない、もしくは捲って貰いたい、更には今日はわざわざ見て貰いたいパンツを履いて来ているのだから、ちゃんと捲ってしっかりと見なさいよ。

と言う所までの積もりでいたからなのだ。


かくゆうこの俺も、仲良しだった女の子の小夜のスカートはちょくちょく捲っていたんだ。


今日はイチゴ柄とかウサギちゃん柄とか、フリルとかギャザーとか、その一瞬の御開帳のパラダイスを映像として目蓋に焼き付け妙に誇らしげに、そのパンツを履いている本人に対して絵柄や形の特徴を説明をしたりしてたんだ。

チラッと一瞬だったけど、お前のパンツをしっかりと拝見いたしました。と言う報告のような儀式。

一方、捲られた女子はと言えば、

例えば柄を間違えられたりすれば、前日の夜に、見られるかも知れない、見て貰えると思う、見せて上げたいパンツを選んで履いて来ているのだから、ちゃんとしっかりと見て貰いたい欲望が満々だったので、答えを間違われた不満をぶつけて来たりしていた。


なので、下手に捲り損なって、その全容を見損じてしまったりした場合などは、わざわざもう一度のチャンスを与えて貰ったり、もしくは、日常化してしまった最後の方になった頃の小夜は、恥ずかしげもなく大胆に自らスカートを託し上げてパンツを俺に晒してくれると言う力業にまでになっていた。


あっ、このスカートめくりと言う遊びは、当事者以外の周りに人がいない時にやる遊びであって、女の子のパンツをいろんな人に見せて恥をかかるための行為ではありません。

いうなれば、二人だけの秘め事。

かと言って、なんせ昔々の小学生の話しですから、付き合うだの彼氏彼女なんて関係ではなくて、ただ、ひたすら親密で仲の良い、気心が知れ合った男女がじゃれ合いの末の悪遊びでございます。


だけど俺としては、この小夜と言う女の子の存在は頻繁に一緒に遊ぶ友達でしかなく、スカートを捲ったりするのも、パンツが見たかった分けではなくて、スカートを捲られるのを嫌がったり騒いだりするのが楽しくてスカートを捲ったりしてただけで、その頃の俺は小夜に対して異性と言う認識はほとんど持ってはいなかったんだ。




だけど、後々に気が付いた事だけど、

小夜はこの頃にはもう既に女としての自覚が芽生えていて、自分のパンツが俺の興味を引いている事に、恥ずかしさも去る事ながら自己肯定感?嬉しさ?喜び?なのか、精神的に性的な高揚を感じていたらしかった。

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