敗北者のブログ

長年生きて来たぢぢぃの独り言

女優の愛人


元々、それ程明るい人柄ではなかった筈の彼女。

俺と出逢うまでは、例えば小中高の卒業アルバムを見てもオカッパ頭の俯き加減で笑っている写真が殆んど写っていない、可なり暗めな女の子。

分厚い卒アルなのに、数々のイベントや思い出が沢山残されている卒アルなのに、そこに登場する彼女は決して中央に居る事がなく、常に画角の隅っこで視線が逸れている写真ばかり。

俺にはとても、楽しい時代を過ごして来た記録画像には見えなかった。

彼女自身の持つアルバムでさえ、家族団欒の写真も少なく、友達との思い出写真も余り多くはなかった。

俺の勝手な想像なのだが、俺と出逢う前の彼女は、何かから必死に逃げているのかも知れないと思えた。

にこにこと笑顔を浮かべて饒舌に日常を語り、腕に絡まり甘えた声を出して頬を寄せて来る。

おどけて、はしゃいで、抱き着いて、時には、ふざけた演技で上から偉そうな態度を取りながら俺に指図をして来る。

その割に、裸の時は愛くるしい懇願の態度を貫き通して、俺をコントロールしている。

自らが造り上げた、自分が作り上げた愛人像を一生懸命に演じてい様にも見えていた。


俺は常に心の何処かに、そんな彼女の気遣いなのか、封じ込めた彼女らしさなのかは掴めないもどかしさを見て見ぬ振りをしながら過ごして来た。

愛人でしかない立場が、彼女をそうさせてしまっているのだろうかと、考えた事もあったが、俺の存在はその愛人と言う彼女の振る舞い事態を否定してしまいそうで、言い出せずに来てしまっている。

もしかしたら、彼女は彼女本来の姿で俺と過ごす事が怖いのだろうか。

俺は、本当の彼女を知ってるのだろうか?


テレビドラマや小説、映画や雑誌での恋愛や恋人としての振る舞い、在り方、行いを学問として勉強するかの様に頭に入れてイメージを膨らませて、それを演じて実際の行動に移しているかの様な所作に違和感を時々感じていた。

本当の、本来の彼女の姿は何処に在るのかを知るべきなのだろうかと、迷っている自分がもどかしかった。

このまま彼女の演技らしき態度に甘んじて付き合い続けて行く方が、俺に取っては楽なのは明らかなのだが、見えない正体をチラ見しながら彼女をもてあそんで居る様な罪悪感からも逃げたくはない気がし始めている。

だからと言って、その彼女の押し隠して居るであろう姿を、こんな人との触れ合いを大事に出来もしない下らない男なんかが掘り下げてしまって良いものなのかに不安があるのは確かなのだ。

それを露に出来たとしても、俺の立場で彼女に何が出来ると言うのだろうか。

何かをして上げられる手腕も持っていないだろうし、恐らくは俺自身の不甲斐なさを自ら知らしめるだけになるだろう事は明らかなのだ。

寄り添う事も出来やしないのに、そこをわざわざ隠しているであろう彼女を裸にする意味はない気がしている。


臆病な男だとつくづく自分が嫌になる。

女優としての彼女の演技に甘んじて付き合っている大根役者は、これから先も作られた愛情に勘違いをしながら彼女からは離れられずに、付き合いの演技を続けて行くしかないのだろう。

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