敗北者のブログ

長年生きて来たぢぢぃの独り言

真夜中の道化師




正に「青春」の一言に尽きると思う。


俺は地元の公立高校の受験に失敗して、滑り止めとして受けた、隣の東京にある私立の高校に通う事になってしまった。


なので、中学時代に付き合っていたSとは疎遠関係的な自然消滅で音沙汰がなくなってしまった。


まぁ、付き合い始めの頃の彼女は決して可愛い部類の女の子じゃなかったのだが、なにせ思春期真っ只中の成長途中の女子。

付き合っている内に見る見る顔つきや体型が女に育って行って、中学を卒業する頃には、押しも押されぬ美人さんになってた。

なので、多分、言い寄って来る男も引く手あまただったろうなと想像してたんだ。


こんなぶさ面の俺なんかよりいい男は選り取りみどりだったろうから、あまり後ろめたさに苛まれる事もなく縁は切れたんだ。


越境通学していた高校は男子校だったので、しばらくは彼女無しの小汚ないうらぶれた高校生活だったけど。


半年もしない内に、電車で通学途中の駅にある高校の女の子とひょんな事から付き合える事態に陥ったんだ。


出逢い方は彼女の大胆な行動で、ある意味で一方的な特攻隊精神で、、、

えっと、詳細は過去記事でもまさぐって探して下さいな。


第一印象はとりあえず、可愛いかった。


出逢い方の強引さからは全くイメージ出来ないほどの純情可憐な性格をしていて、彼女を知れば知るほど、あの強攻手段に出る女の子とは信じれなかった。


良い意味で捉えれば一途過ぎるからかも知れないが、何かに夢中になっている時の行動力には怖いものがあったんだ。


彼女とは、高校一年の真ん中から大学の一年の真ん中までの三年間付き合った。




俺の通ってた高校はいわゆる工業高校で、世間一般的に言うバカばっかり。

進学率はほんの一~二パーセントで卒業後はほぼ町工場のなんちゃら有限会社とか○○鉄工所とかの従業員が数人しかいない、いわゆる三ちゃん的なファミリー企業しかなくて、お先真っ暗の将来がはっきりと見えていたんだ。


俺よりも遥かに偏差値の高い高校に通ってた彼女は、俺の高校のその就職先を見て、多分、不安に思ってくれたんだと思う。

てか、彼女的には俺との将来を視野に入れての判断だったんだろうね。

自分の彼氏の就職先に不安をおぼえた彼女は、俺に大学受験を勧めてくれたんだ。

できれば、同じ大学に進学したいって言い出した。

けど、中学から勉強には興味が薄かった俺と、コツコツと真面目に勉学に勤しんで来た彼女とは基礎的学力に大差があったんだ。


それでも彼女は諦めなかった。


彼女に取って俺は、彼女の知らないバカで下らなくて楽しい日々を教えてくれた大切な彼氏であって、俺と将来を共にできれば、私は絶対に幸せになれるんだと信じていたらしい。



それからと言うものは勉学とセックスに明け暮れる生活が始まったんだ。

とは言え、お互いに高校生。

会える時間は限られていて、しかも、性欲の枯れる事のないやりたい盛りだったので、会っている半分以上の時間?はアヘアへと過ぎ去ってた。


けど、俺も頑張った。

ご学友からは、彼女持ちで付き合いの悪くなった裏切り者と罵られ、高校の先生からは、うちの高校から大学行こうなんて無茶だぞと諭されながら、彼女がぬるぬるにしちゃった参考書にかじりついて頑張ったんだ。


結果的には、当然と言えば当然ながら彼女と同じ大学を受験するなんて無謀な試みは避け、まぁ俺でも受かるんじゃね!的な大学を受験して受かったのだが、、、


彼女は都内の華やかな一等地の人気の大学へ。

俺はと言えば、埼玉のはずれの田舎大学。

二人の距離は電車で一時間半。

しかも俺は、プライベートが全く保てない大学生専用の安アパート暮し。

学費やら生活費を稼ぐために、講義のない時間帯にはバイトをしなければならないし、なによりも、一年二年の間は朝から晩までの講義を受けなければ履修単位が獲得できないのでバイトは講義後の夕方や夜間にするしかなかった。


つまり、彼女と会う場所も時間もなければ、ましてやセックスするなんて事は夢のまた夢。

高校時代には、なんの遠慮も躊躇いもなく、自由きままに裸のお互いをむさぼり合えていたのに。

それが分かっていても彼女は、何度も何度も往復三時間も掛けて、顔が見たいから、声が聞きたいから、側にいたいからと言って会いに来てくれたんだ。


俺は彼女のお陰であの大学に入れたのに、彼女には何も返して上げる事ができなかった。

もちろん、当たり前だけど、俺は彼女を煩わしいとか厄介だとかは微塵も思った事など一度たりともなかった。

ただただ申し訳なくて、気の毒で、可哀想で、意地らしくて、

自分が情けなくて、不甲斐なくて、腹立たしくて。




駅前なのにバスも走ってなくて、信号すらなくジュースの自動販売機があるだけ。

駅から見えるのは一面の畑と数キロ先に続く一車線の細い道路。

その両脇には学生目当てのアパートや寂れた食堂や農家の家並み。



薄汚れたトレーナーにサンダル履きで学生がぶらぶらしているようなど田舎の町に、お洒落でエレガントで洗練されたファッションを身に纏った可愛い彼女が降り立ってる景色はなんとも言い難い不協和音だった。


俺に会いに来てくれた嬉しさを十二分に上回る排他的な違和感と嫌悪感。

絶対に間違ってると心の底から感じてしまった。




そんな話しを何度か繰り返した。




「さようなら。」で

終わりにはしたくはなくて、

「ありがとう。」で

最後の区切りを着けた。



ありがとうなら、

ここで全てが

終わらない気がして、

ありがとうと言う

言葉を選んだんだ。 


さようならでなんて、

終わらせたくなかった

今までの二人の歴史。 


重ねて合って来た

美し過ぎる思い出の終止符には、

さようならは

絶対に似つかわしくなくて、

深い感謝が込み上げて来て、

心の底から込み上げた

「ありがとう。」

この言葉がぴったりだったんだ。 


その言葉の後に、

さようならは付け足したく

なかった。

付け足したら間違いなんだと。 


いつでも、どんな時でも

嬉しかった、楽しかった、

何よりも幸せだった。



終わらせる「さようなら」

よりも

ここに、花を咲かせる

ありがとうの一区切り。 


いつだって、また

ここに戻ってやり直せそうな

そんな気持ちの

ありがとうを

持ち寄ったあの時。 


花束こそ、

この場にはないけれど、

もしも、

許される場所だったならば、

夜の営みを始める前の様に

強く強く抱き締めて、

今あるありったけの感謝を

ぶつけ

伝えたかったんだ。



君が悪かった分けじゃない。






他人からは絶対に見えない傷がある。

その記憶の中に一生背負って生きて行かなければならない過ち?

過ちなのかどうかははっきりと白黒を着け難い部分があると考えてしまうのは、単に己れを養護しようとする自衛のエゴなんだろうか。

しかしながら、当時の己れを振り返って見ても大きな間違いは犯してはいなかったんだと、己れの判断を正当化し得るんだ。

それでも、この焦燥感からは逃げられず、ふと振り返れば、いつまでも心の大部分を真っ赤に塗り潰して苦しくなってしまう。


取り返しは着かない。

けれど、取り返しが着いたとしても繰り返すであろう自分の判断はやはり生き方でしかないんだろうな。


人は産まれ生きて行く以上は誰かを傷付け、何かに喰われながら成長しなければならないんだろうか。




あゆみの墓前での独り言でした。

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