敗北者のブログ

長年生きて来たぢぢぃの独り言

日々是記念日


半世紀以上もだらだらと生きていると、人間として色んなしがらみってのが、ごちゃごちゃわさわさとしがらまっちゃってこんがらがってしまっている事に気が付いたりする。


例えば一年てのは、ご存知365日間もあったりする。

これが意外に長いのだが、

その長きに渡る一年間を過ごして居る間に、ある月のある日にふと記念日ってのに気が付く事がちょくちょくと言うか、しょちゅうあったりする。


それは、両親の誕生日だったり、結婚記念日だったり、命日だったり。

勿論、自分の誕生日もそう。

結婚して家庭を持っている方なら妻や夫の誕生日や結婚記念日。

プロポーズした日や婚約指輪を買った日。

子供の誕生日もそう。


更には、昔に付き合っていた彼女の誕生日や出逢った日の記念日とか初デートや初キス記念日までも覚えてたりする。


半世紀も生きて居れば、一年間でいったい何日くらい、「きょうは○○の◇◇の日だ。」って思い出すんだろうって、ふと考えて数えたりしてね。


最近では、はこのスマホって奴がさ、カレンダーに登録?して置くとお知らせしてくれる機能なんかがあって、止せば良いのに備忘録として矢鱈と書き込んだりしちゃってさ。

忘れちゃいけない過去の変な思い出記念日とかも書き込んじゃったりしてみた分けよ。


そしたらさ、記憶に残ってる過去の色々な記念日って百個近くにまでなってたりしてして、自分でも呆れる程にバカで無駄な人生を歩んで居るんだなってつくづく嫌になったりしてね。


そう考えると、普段会社で一緒に働いている数人の人達なんかと、無駄に合算したら一年間なんて常に誰かの何かの記念日なんだろうな。

なんて、実に下らない発想をしてみました。

だからなに?と尋ねられても困るのですが、

こうしてだらだらと長い年月を生きて来ると、ハッピーな誕生日や記念日だけじゃなくって、

身近な親族や親友、知り合いの命日だったりもする分けで、

日頃思い出す事も少なくなりつつある、昔の思いを慈しむのも必要な行いではないのかなと、思う次第で御座います。

例えば、私亡き後は、いったい誰がこの私をどれだけ思い出してくれるのであろうかと不安でもあり、心配でもある今日この頃の独り言でした。

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