何のために
青葉の季節。
また随分と優しげな緑色を鮮やかに輝かせて、新芽が芽吹いたものだろうか。
この五月の気紛れな陽射しに照らされて、柔らかな新緑を薫らせている。
桜も椿も紫陽花も。
一際に新緑を称えて、新しい息吹きを感じさせてくれている。
きっと、何かを始めるにはとても良い季節なんだろうな。
はたまた、大切な区切りを着けるにもこの季節が良いのかも知れないと感じる。
なんて、他人事の様に「その」帰り道に通り抜けをした公園の新緑を眺めながらしんみりと思っていた。
その瞬間には、抱き締める事もしなかったし、真正面からまともに表情を見る事さえしなかった。
あまつさえ、「さようなら」すら声にしなかった。
と言うよりも、胸に沸き上がる熱い苦味に喉が潰れてしまって声にはなっていなかっただけなのだが、、、
事実上は、その後ろ姿には何も届けられなかった。
いや、その時点では、そんな言葉に何の意味も持たなかったのだろうと思う。
多分、あれはあれで結果的には良かったのかも知れないと自分に言い聞かせていたのだろう。
この一年間でその気持ちは、繰り返し何度も伝えては来ていたんだ。
こんな立場になってしまった俺が彼女に対してして上げられる事はもう何もないって事を。
だけど、その度毎に無邪気さを装い、喜びや嬉しさを全身で現して、それを上手に回避されて来てしまっていたんだ。
会えば、仔犬の様に尻尾をブンブンと振って、ガンガンと抱き付いては、嬉ションを撒き散らすかの様に喜んで見せては俺の決断を見事に打ち砕いて見せた。
その位の芸当は、長年の二人の付き合いから彼女が学んて来た俺の弱点なのは十分に承知をしていた。
ある意味で俺は、彼女のその戦法にまんまとはめられ続けていたのだろう。
繰り返し、繰り返し。
大上段に構えた刃を振り下ろせずに。
そうして上手く躱わされ続けていたけれど。
丁度一年前。
緊急事態が発令されて、社内での謀反(むほん)が勃発した。
合戦に敗れた族軍は、散り散りバラバラに解体され、俺は、落武者の如くに地元に追いやられて自由を失ってしまった。
彼女とは、それまで通りには会えなくなってしまった。
そんな中で尚も、出来るだけ有給休暇を使って会ってはいたが、
それまでの合戦場におもむく武将の様に何日間もの時間など作れはしなくなってしまった。
会ったとしても丸一日の朝から夕方までの八時間。
その繰り返し。
夜を伴に過ごせなくなり、二人同じベッドで朝を迎える事が出来なくなっていた。
ともすれば、昼夜を問わずに体を重ねて肉欲を貪り合い心を満たし合い、数日もの間を当たり前の様に伴に過ごせていた日々が失くなっていた。
このコロナ事変の中で、
失なわれて行った物。
この一年間で二人が覚悟を固めて行った物。
区切りを着けなければならなかった事。
終わらせなければならなかった事だった。
余りにも身勝手で傲慢な奴が、
お喋りの隙間を縫って
サラッと言い放った
「もう、無理だよね。」の
言葉に対して、
そこまでの無邪気な笑顔を一瞬にして、
険しい真顔に変えて、
「このままでもいいから」と、
鋭い眼光を光らせて
終わり。を断固として受け入れない固い決心が垣間見れた。
彼女を断ち切る意味をずっと考えて来た。
いや。
寧ろ、何故これ程までに執着をしてくれるのかが俺には分からなかった。
だからこそ、俺の下した判断は間違っていなかったんだと思いたい。