敗北者のブログ

長年生きて来たぢぢぃの独り言

なんかイライラする。


今、なけなしのお金を叩いて
幾らかの寄付を預けたとしても
今のこの瞬間の助けにはなりはしないのを
分かってはいるけれど、
どうにも居たたまれない。



スパーに努めている長男が
賞味期限が三日後に迫った
お正月用に仕入れたかまぼこや伊達巻
栗きんとんなどを
大量に廃棄する様を見ていたと言う。


年末の掻き入れ時に
商品が品切れにならないようにと
大量に仕入れて
売りさばけなかった余剰品。
三日後とは言え
まだ食べたところで健康被害など
出るような食品ではないのに、
極々当たり前のように廃棄される中で
レジの横には、これ見よがしに
被災地への備金箱が鎮座している。



その善意で集められた支援金でさえ
大量に集められたお金には
良からぬ人が寄ってきてしまうのが世の常。
人々の不幸をなんとも思わない金の亡者が
そこには存在している事実。



何処でどんなふうに使われてしまうのか。
誰の手で何処に運ばれるのかが
分からない現金の支援を俺はしたくはない。
俺は困っている人に届くように
微々たる金額ではあるものの
確実で信頼の置ける団体へ直接届く手段を
選択したいと思っている。






水が足りないって、どうゆう事?
食料が届かないって?
寒さを凌げないって?
もう丸三日も経ってるじゃん。
テレビカメラもレポーターも
現地に到着してるんだよ。
ヘリコプターでSOSの文字が見えてたじゃん。
って事は、道が寸断されてても
空からの物流は可能なんじゃないの?











瓦礫の下で。





今、自分の身動きを
阻んでいるのが
今までに
見たことのない
変わり果てた我が家の中。


それはそれは酷い有様だけど
せめてもの救いは
ここには住み慣れた家の
自分が長年の間使っていた家具達に
囲まれていること。



こんな悲惨に変わり果てた
我が家の中で
自分の最期を迎えるなんて
情けないやら
悔しいやら
無念の一言に尽きる。


痛い、苦しい、辛い。
寒い、悲しい。


他の家族は
無事でいてくれるのだろうか?
助かっていて欲しい。
無傷で居て欲しい。

新年


明けまして、、、、、


おめでとう・・・なのかな?



新年明けて一日。
我が家はもはや恒例となってしまっている、例の八景島へ。
道路は元日とあってガラガラであっと言う間に到着。
しかし、時刻は昼ちょっと前になっており、それなりに
駐車場は埋まっていて、多少は奥の位置に停めざるを
得なかった。
そしていきなりフードコートへ直行したがちょうどお昼時と
あって案の定、人が溢れて座る席がなくて諦める。
それじゃあ、ってんでとりあえず水族館に入ってちょっと
時間を潰してから、1時半か2時くらいには
空くんじゃないかと企んだんだ。


元日のシーパラは、平時のそれとは違い、イルカショーを
始めとする各種イベントはあっさりと縮小されて、割と
こじんまりと開催されるんだ。
カピバラ君も寒さにめげて縮こまって動かないし、
鰯のイリュージョンも行われないので、ペンギン君の
人生を語る後ろ姿や白熊君の暇そうにうろつく姿を
ぼんやりと眺めつつ、割と空いている館内でのんびりと
過ごせるんだ。


遅い昼食を食べた後に遊園地の乗り物で遊んで、
また再び水族館に再入園。
アザラシ君の優雅に泳ぐ姿や水槽の水流にただ流され
漂い続けるクラゲの無の姿に癒されていたら・・・


ちょっと揺れてないか?


息子がスマホ片手に、石川県で震度7の地震だって。
と、マジな顔して報告して来た。
「えっ、震度7ってただ事じゃないじゃん。」
プレートが違う石川の揺れをここ神奈川県でさえ
揺れを感じられたくらいの地震なんて只事じゃないのは
すぐに予想はできた。
時刻はもう4時を過ぎていて、辺りは夕暮れの始まり。
夜は当たり前に寒くなるし、石川県なんて海に囲まれて
ましてや富山湾なんてドン深の海溝。
新潟には柏崎刈羽、福井にも原発があるし、、、
嫌な予感しかしなかった。



家に帰りテレビを点けても同じような情報を繰り返す
ばかりで、町の被害状況や原発の情報などはなく
「逃げてください、命を守る行動を優先して下さい。」
を繰り返すばかり。
いやいや、電気が寸断されているのにテレビで丁寧に
逃げて下さいだの命を守って下さいだのって、
そんなに丁寧な言葉使いで知らせてる場合じゃないじゃん。
津波が来るから逃げろ。
慌てさせて怪我を誘発するまでの言葉使いは
必要ないけど、丁寧に説得するような説明は要らなくね?



明けて2日。
なんとテレビではお笑い番組を放送している。
昨夜はほぼ全チャンネルで被災地の情報を収得しようと
あれほど躍起になってたはずなのに。


これで人々の視線は裏金問題からは離れたと安堵した
政治家がこれ見よがしに救援の指揮を取り始めた矢先に
羽田での事故。




今年一年の始まりに、


不安しか感じないのは俺だけだろうか?

惜別


別れた当初は、迷ってる。

って感情が一番強かった。

本当にこのまま惜別してしまってもいいんだろうか?

別れる時期は今のタイミングで間違っていないか?

もう一度考え直して、何か他の案が無いのかを考えるべきじゃないのか。


次に、したのは後悔かな?

出会ってしまって、好きになって恋をした。

その過程の一つ一つを振り返ると、

その時々に下していた判断が本当に正しかったのか?

あの時に違った決断を下していれば、もしかしたら、今のこんな後悔の仕方をしなくても済んでたのではないのか?

自分達の心の赴くままに恋愛芝居を演じ上げ、互いに求め受け入れている事に酔ってはいなかったか?


幸せになって欲しいなんて、微塵も願う気にはなれなかった。

もちろん、不幸になれ。なんて思いもしていなかったが、

彼女が俺以外の男と付き合う事を考えたら、気が変になりそうな位に心が掻き乱されて冷静ではいられなかった。


言葉、仕草、温もり、肌の質感がまだリアルに目の前に当たり前にあって、いつもの彼女となにも変わらない姿をしている。

別れたんだと言う、紙に書かれた文字面を眺めているだけで何一つ現実として受け止めてはいなかった。


普通に日常を過ごしていると、ちょっとした出来事に出くわしたりして、あっ、今度会った時に彼女に話して上げよう。

なんて、今までの当たり前に溜め込んでいたエピソードのはけ口を失っている事に気付いて我に返った。


あれもこれも、日常で起こるいくつもの楽しい話しや悔しい話し、他愛ないエピソードまでもが記憶に蓄積され取捨選択されては消え失せて行く。


そうだ!これは絶対に伝えて上げたい。

と、思った出来事に出会った瞬間にザックリと胸に刺さっている刃の鋭さに気が付いて、本当に別れてしまったんだと、自らの心が削られて薄くなっている事を感じ始めるんだ。


あれ?俺って、もしかしたら悲しいのかな?


ひょっとして、泣きたいのかな?


もしかして、泣くべきなんじゃないのかな?


心の半分が、感情の半分が、俺らしさの全部が、彼女に持って行かれてしまってる。


今更になって、

当たり前に、居るべき時には常にそこに居てくれて、俺のなにもかもを共有し共感てくれていた俺のもう半分の心が失くなってる。


なんだろう?

悲しくもなければ、淋しくもない。


辛くもなければ、痛くもない。


何に対しても気持ちが動かなくて、涙も出なければ可笑しくもない。


泣く事もできなければ、もちろん笑える分けもない。


なんだ、そうだったのか。

彼女は俺の全てだったんだ。





俺は俺の全てを棄ててしまったんだ。







そう言えば、そんなクリスマスも過ごしてた事があったようななかったような。

好きになるとなり振り構わず夢中になってのめり込んでしまう、0か1、onかoffの二択しかないバイナリーで救い様のないバカなんですわ。





そんな目で見ないで。




ほっといて下さい。