敗北者のブログ

長年生きて来たぢぢぃの独り言

過去ログ、何も無くていい




何もなくていい、

何もない方がいい。

何も起こらない方が

幸せなのかも知れない。


オルゴールの

独特な彼女の着信音に、

心が軋む。


不在着信履歴に

笑顔のアイコンが

妙に気持ちと合わなくて、

指先が躊躇ってしまう。


間髪を入れずに

繋がる電話。


きっと、

スマホを握り

画面を見詰めたままで

待ってたのだろう。


切り替わった画面を見た途端に

アイコンと同じ笑顔を浮かべ

耳に当てる前に声を出している。


その姿が瞬時に浮かんだ。


「今、どの辺りにいるの?」


会社を出て、

駐車場までの僅か数分間。

俺を捕らえられる

絶妙なタイミング。


「あのね。」

そこから始まる

ちょっとした日々の出来事。


やがて、

鼻に掛かった甘える声での

誘惑。


断れない己の弱さ。

切る事の出来ない電話に

折れて行く心。



「運転、気を付けてね」

スマホをテーブルに置き、

ドレッサーと向き合い

化粧を始める彼女の姿が

目に浮かぶ。


「やれやれ」

諦めとも、

楽しみとも付かない

複雑な心境が、

誰に言うでもなく

口から零れた。


「今日は遅くなる」

突発的な出来事をでっち上げ、

困った声で災難を演じる。


「無理しないでね」

明るく気遣う声に

心が軋む。


車窓を開け放ち、

タバコに火を着け、

気持ちの切り替えをする。


今頃、

待ち望んでる彼女は、

会えなかった時間に、

どれだけの爆弾を溜め込んで

どんな爆発を起こすのやら。


何もなくていい、

何もない方がいい。

何も起こらない方が

幸せなのかも知れない。







ぽっかりと夜空に浮かんだ

青白い半月。


ぼんやりと

眺める気力も失ってしまった、

窓際のベッドの上。


もう、

俺は限界なんだけどな。

まだ、

続きをするのかな?


ベッドルームに薫り始める

ハーブティーの香り。


灯りの消えた、

余りにも静かな空間に

大の字になって

しばしの静寂に包まれている。


ティーカップとソーサーの

掠れた高い音が、

部屋の隅から近付いて来る。


弱々しい月明りに照らされた

柔らかく綺麗な曲線は

白くぼんやりと美しく

小首を傾げ

ミントの香りに包まれていた。


ふと、握られた掌から

彼女の思いが伝わって来る。

甘い香りの

サラサラとした髪が、

俺の顔に降り注ぎ

重ねた唇から

熱く香るミントの紅茶が

流し込まれる。


「愛してる」

疑い様のない心からの囁き。

瞼を閉じていても感じる

熱い視線。


フワリと胸に乗せられる

暖かく柔らかな膨らみ。


細い腕が背中に射し込まれて

彼女の全てが

預けられる。


俺も、

このまま両腕を畳んで

彼女を強く

抱き締めても良いのだろうか?


「大好き」

溢れ出す様な心の叫び


つい、

「そろそろ」と、

返してしまった。


叫びに応えるべき力が

入らなかった。

腕の躊躇いが彼女に伝わる。


きっと

悲しい顔をしているのだろう。

「やだ!」

「やた!」

「やだ!」

「やだ!」

「やだ!」

「やだ!」

雷鳴にも似た轟が

耳を裂く。

落雷が何発も撃ち落とされ、

辛く切ない氷の様な雨粒が

槍の様に降り注ぐ。


たったそれだけの切っ掛け。

ほんの僅かな躊躇いが、

ものの見事に伝わる関係。


疑い様のない愛。

全身全霊の依存。

預けられる身体


泣き虫の呟き。

求められる見返り。

「もっと愛して欲しい。」


「こんなにも、、、」

途切れ途切れの掠れた声が、

鼓膜を震わせ

俺の心に直接届く。


ありったけの腕力で

抱き馴れた躰を

力の限り抱き締めた。


メリメリと肋骨が軋む。

俺の胸板で

逃げ場を失った乳房が

破裂しそうな風船の様に

腕を押し返す。


「帰るの?」

潰れた声が途切れ途切れに

吐き出される。


額と額が触れ合って、

睫毛が俺の目蓋をくすぐる。

「この時間が私の全て」


愛の証など

何も示していなかった。

無闇に抱き締めた

陳腐な力業の

いったい何処に

俺の心があったのか?


降り注ぐ唇の嵐が

全身に浴びせ掛けられる。

濡れた肌に黒髪が絡み

這うようにくすぐる。


それは、

まるで何かを

繋ぎ止めるかの様な

激しさだった。


舌先が肌に刺さる。

二の腕を噛まれる。


それは、

まだ始まってさえいなかった。

こんな事で

終わる筈はなかった。



何も無くていい。

何もしなくていい。

何もされなくていい。

何も起こらない方がいい。







ウレタンベッドに

大の字になり、

欲望の花芯を晒す彼女。


46度の熱いシャワーが

勢い良く突き刺さり、

赤く火照る滑らかな肌。


たちまち

湯気に満たされる浴室に

シャワーの音と

彼女の

控えめな呻き声が木霊する。


細く鋭い一本水流に切り替えて

凶暴なマッサージ効果のある圧力を

柔らか過ぎる粘膜の

窪みに集中させた。


俺の名前が浴室の空気を

震わせ響き渡る。


イクではなく、俺の名前。

それは、

彼女に染み付いてしまった

絶頂の叫び。


意識的なのか、

無意識なのかを

俺は確かめる事が怖かった。


空を掴み

抱き締める事を求める叫び。


腱反射で震える熱い躰を

抱き締めて、

何度も連呼される名前を

耳元で聞いた。


やがては、

うわ言の様に、

尋ねる様に、

甘える様に、

繰り返し口にする

会話の様な俺の名前。


心にこびり着いて

ジングルする

彼女のこの声が

日常のふとした瞬時に

俺の動きを遮る。



分厚いバスローブに

彼女を包み、

ベッドルームまで抱えて運び

濃い目のジャスミンティーを

淹れている間にも

俺の名前は呼び続けられていた。


出来る事ならば、


何もなくていい、

何もない方がいい。

何も起こらない方が

幸せなのかも知れない。

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